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鎌倉を歩きました ①

朝方、うつらうつらと聞くラジオから大塔宮という言葉が耳に入りました。
そうだ、今日は鎌倉宮へ行こう、
そうと決まれば行動は早いもの。

暑さには極めて弱いので、薄曇りの天候はありがたいこと。
8時過ぎには家を飛び出しました。
少し遅い通勤、通学で車内は空き席なし。
大船までドア際に半ば押し付けられた格好で立つこと15分。
横須賀線は、さすがにまだ空いて2駅で鎌倉着。

鎌倉駅前で考えました、バスで行くべきか、歩くべきか、、、
バスの時間を見るとまだ20分あるので、歩くことに決めました。
街中をすたすたと20分ほど歩いたでしょうか、鎌倉宮の鳥居が見えてきます。

明治二年(1869年)二月、明治天皇は建武中興に尽くし
非業の最期を遂げた護良親王の遺志を高く称え、
親王終焉の地・東光寺跡に神社造営の勅命を発したのだそうです。
明治天皇自ら宮号を「鎌倉宮(かまくらぐう)」と名づけたということです。。
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人影はほとんどなし、300円を支払って20年ぶりで中へ入りました。
ところが入った途端に、後から入った女性に声をかけられました。
「静かだからご一緒に回りましょうか。」 
いやとも言えず歩き始めたのですが、
「ここは私は詳しいので」と立て板に水のごとく説明が始まりました。
右へ行こうとすると、こちらは面白くないから左へ行きましょう、
ここは写真写りが悪い、この花はきれいに映らないなどなど。。。
”私は時間がかかります、お忙しいでしょうから、お先にどうぞ”と
やんわり断るのですが、
「時間がたっぷりあるから大丈夫」ですと。

暗い土牢の中を覗いて、
わずか28歳の哀しく苦闘の生涯を終えた護良親王に思いを馳せます。
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足利義直の家臣淵辺義博に捉えられ、非業の最期を遂げた親王の首を安置した場所。
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静かに色づき、静寂の言葉がよくあう境内です。
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若いみどりが眩しく光ります。
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ようやく出口にたどり着きました。

この後も一緒にというご婦人に、悪いと思いながら、
ここは嘘も方便です、約束があるからとようやく離れることが出来ました。
曰く「鎌倉を歩いて、人様に説明してあげると喜ばれるのですよ。」
つむじ曲りの私は「小さな親切 大きなお節介」の時間でした。
この後、荏柄天神 頼朝の墓など回りましたが、この次に。
by slowlifek | 2012-04-17 11:23 | 気ままな日記
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